昭和46年05月15日 朝の御理解
御理解 第48節
「我が子の病気でも、可愛い可愛いと思うてうろたえるといけぬぞ。言うことを聞かぬ時に、侭よと思うて放って置く様な気になって信心をしてやれ。おかげが受けられる」
おかげを受ける心の状態と言うのは、こう云う状態になれた時、おかげが受けられますですね。その時に心が使われてしまって、もう不安でたまらない。心配でたまらない。そう云う時にはおかげ頂きにくい。それこそわが子と言えば、可愛いものと決まってますけど、それでも放って置く様な気になれと言っておられる。 大した事です。そう云う心の状態であると云う事。先ずおかげを頂くと思うて間違いない。
そこで放って置く様な心と。侭よと思うて、放って置く様な心とはどんな事だろうか。もうそれは、放任したとかね、どうとか成ろうと、言った様なものではないのですよ。そう云う様な、心の状態と云う物は、本当にやはり、信心の有難さ楽しさ、または信心の本当の意味においての、厳しさと言った様なものが、身に付いて居らねばとても出来る事じゃありません。
自分の子供がまあ病気の時位なら良いけど、もう難しいかも知れんと言った様な時にです、平常心になって居られると言った様な心、中々出来る事じゃない。日頃の信心が大事だと思いますよ。処がなれる。やはり稽古です。一々お神様のお働きの間違いなさ、いや特別に神様のお働き、信者氏子と信心する事を仰せられるが、特別のおかげを蒙っているのだ。特別の御守護を受けて居るんだという、これが実感として頂けれる時にですね、私は侭よと言う心も、放って置く様な心も生まれて来るのじゃないかと。
そう言う心で縋ってやれるのじゃ無いかと。そう云う様な心になって縋がってやる。信心してやれとこう仰せられる。そう言う心で縋る。ですから、此処にはおかげを受けたいと云う事よりも、もっと強烈な一つの目指しと言った様なものがです、無からなければ成らん事を感じます。その事、その問題、言うなら子供の病気、その事のおかげを頂くと云う事よりもです、よりもっと高度なというか、偉大なというか、そういうおかげの目指しと言う物が無からなければ出来る事じゃない。
例えば百の有難さを持って居る処に、百五十の難儀な事が起こったらもう五十だけはマイナスです。有難いと言うのは決して嘘ではないけれども難儀を感じとる、その難儀の方が強い訳です強烈なんです。ですからそれが反対にです百五十の有難さに、五十の難儀が例え湧いて来たと致しましてもです、差し引き喜びはまだ百残っているゆとりがある。放って置く様な心がまた侭よとそう言う中から私は生まれて来るのだと思う。
愈々だから有難うならして頂く稽古が、精進がなされなければ成らん事が分かります。昨日は西鉄さんのストで御座いましたからね。何時もバスを利用して見える方達が汽車で参って見えられた。吉井の方達なんか久大線を利用して見えた。吉井の熊谷さんもバスで見える積りで、何時ものバス停で待っとんなさった。何時まで待ったっちゃ来ん。来んはずですよね、ストですから。
そこで若い人が、「あなたバスを待っとんなさるとならストだからバスは来ませんよ」とお知らせ。「ああそうな事ですか」と言うて、どっち付かん時間になったから、一応家に帰って、昨日は丁度二時過ぎですか、三時くらいな時間に参って見えて、丁度四時の御祈念を頂いて行きたいと言うてゆっくりお届けをして、四時の御祈念を頂いて帰られたんですけど、「先生、本当にもう一日のおかげは言うに更なり、もう特別のこう言うおかげを受けて居ると云う事を、昨日感じさせて頂きました」と言うて。
あちらの或る所が、唐島と云う所で御座います熊谷さんの里が。それで久し振りで唐島に出らずに、次の駅の「角の上」から乗ろうと思うて、唐島の村の裏から裏の旧道です、を通って帰ろうと思うてその道を通らして頂いた。女学校時代に毎日毎日通らして頂いた道、それこそ今も昔も変わりはない。まあ懐かしい思いで通って居られた処が、向こうの畑の中におんなさるお婆さんがこうしげしげ見ながらち近付いてきなさる。そしたらこちらも近付くに従い見て見た所が、何と女学校時代のお友達であった。
「ああ、貴方たんとこは此処でしたか」と。「私のとこはすぐ其処、この家で御座います」ちゅうて、隣村ですけども、久しぶりの会合に、懐かしい思い出話などなさってから、「実は明日は女学校時代の同窓会が森部の近所の何かである」と。「貴方たはもう何時でも来なさらんから、もう貴方には案内状を出していない」と言う。「まあ今日此処で会うたのも本当に何かの縁でしょうから、明日は出て見えませんか」と。
「今頃は用が多して多して、兎に角もう行かれない」と言いながら、本に十六日は日田の日田支部の大祭、十七日は合楽の祝賀会に御招待頂いておる。ところが十五日は空いとると思われて、気が付かれた訳ですね。それで「そんならいっちょおかげ頂きましょうか」と。「参りましょう」まあ久し振りで、誰々さん達もお会いできる。誰々さんが去年亡くなられました。誰々さんは一昨年亡くなられました。
去年はあなた、あの人もこの人も亡くなられたですよ。今日はほらあの何とかさんは今日葬式がありよるとですよと言うてその聞かれながらです、熊谷さんが感じられ訳けです。はあもう七十幾つになると、段々それこそ消えて行く様に、年々何人かの友達が亡くなっておられる。しかも今日は確か吉井出身の方で、大変心安うしとられた方が、福岡か何処かに居られるそうですが、その方が亡くなられて、今日はその方の葬式がありよりますよ、ち聞かれた時です、まあ特別の御守護、特別のおかげを頂いておる。
七十い幾つにもなって、合楽まで、朝も参りゃ晩も参ると言った様な日々。さあ親先生が何処そこに御出でられると言えば、御供をさせてもらう。何処そこのお祭といえばお参りが出来ると言われる程しのおかげを頂いて。「先生、先日も私が少しばかり玉葱を作っとります。処が近所の方が来て、貴方のごと構いなさらねば、何にもなりませんよ。腐れてしまいますよと言われたけれども。
実際その畑の中に出る暇の無かごと此の頃は忙しか、神様ごとばっかり、けれども神様ごとばかりで忙しゅうて、田圃にも出られないのだから、これはよし腐ってもと思わせて頂いとりましたら、そのお婆さん合われた方ね、そのお婆さんが、今は私玉葱畑に行っとった。それでちっと玉葱を持って行きなさい。いえそげな重かものは持って行ききらん。いやバスの停留所まで私が持って行ってやるけんと。
もう大きな玉葱のしかも新しい新種の玉葱と言うて、二ころりも、それこそ沢山の、もう自分の方で作ったっちゃ出来るしこじゃないくらい沢山の。バスの停留所までわざわざ持ってきて頂いて、頂いた」というお礼のお届けがあった。十五日、今日ですね。今日は同窓会に出られる事であろう。そして皆さんの懐かしい昔話が出来られる事であろう。けど今まではそう云う事の楽しみよりも。
信心の方が楽しゅうて楽しゅうて堪らないものですから、何時の場合でも案内が来んくらいに、もうあの人に知らせても来なさらんから、案内は出すまいと言われるくらいに成って居られた熊谷さんに、昨日はたまたま、その昔の友人と会われて、誰々さんは去年亡くなり、誰々さんは亡くなられた、とにかく減って行くばかり。「今日もほらあなたが一番仲良うしとんなさった誰々さんのお葬式が今日ありよりますよ」と聞かれた時にです、何と恵まれたおかげを頂いとる事であろうか。
いよいよ特別の御守護の中にある事を実感さして頂いたとこう言う。そのお届けを有難い事ですねと言うて、お届けさして頂きよったらね、こう云う事を私頂いた。是れは誰かの詠ですけど。[月やあらぬ 月や昔の春ならむ 我が身ひとりは もとの身にして]と言う詠であります。もう自分だけが特別な御守護の中におかげを受けているという、熊谷さんの言うとられるその事なんです。
親先生それを写さして下さいと云う事でしたので、書いて差し上げましたですけれども。私は、そのそういう特別の御守護を受けておる喜びがですね、あの様な七十幾つに成られて、もうそれこそ神様一途の信心がお出来られると思うですね。ただごとじゃ無いですよね。それこそ安気安穏にして居られる。財産はある、立派なお家に住んで居られる。子供さん達の事は皆出来は良い。
娘さん達はそれこそ良いお家ばかりに縁について居られて、もう何にも言う事ないという程しの中にあってです、まあ言うなら信心が、困った時にすると言う物でもしあったなら、出来る事じゃありませんね。信心が有難うして、楽しゅうしてね、特別の御守護、特別のおかげを受けておると、その実感があるからこそです、私はああいう毅然としたと申しましょうかね、一切の信心以外の事は押しやったり蹴やったりして、神様一途に進んで行かれる訳なんです。
私は今朝御神前に出らせて頂きましたらね、ある方がです、裃を着けて馬に乗って居られる。そして馬の手綱をこうやって、向きを変え様とするが、馬がどうしても言うことを聞きよらんと云う様な、御心眼を頂いた。そうして今日御理解四十八節を頂いとる訳です。「子供が言う事を聞かん時には侭よと思うて、放っておく様な気になれ」なかなか、難しい事を仰せられる、ただ今申します様に。
ところが、こう言う心の状態になって、神様に縋がったら、これは絶対におかげと私は思うて良いと思う。そういう心の状態と言う物が簡単に出来るものでは無いと云う事。どの様な事が起こっても、どっこいと受けられる心と言う物はです、しかもそれを放っておく様な、蹴やって来る様な、押しやって来る様なおかげと言う物は、中々以て出来るものではない。信心の稽古。
そこで私は今日お知らせ頂いた様に、誰だって一応は信心は有難い。熊谷さんの様に毎日、日参り朝参りされよる方は、信心の有難さは分かって居られる。信心には節度を持たねばならぬ事も分かって居られる。修行もさして頂く事は分かって居る。よし今月こそは、今日こそはと言うて皆さんがある意味では、自分だけは裃を着けた様な気持ちで、きちっとした信心をさせてもらおうと思うて居られるのだけれども、どっこい心の駒が言う事を聞かぬと云う事なのです。
明日の朝、御祈念に参るぞ。おかげで目は覚めた。ばってんまあ十分、まあ十五分と言っている間に、ちゃんと時間遅れてしもうて朝参りが出来なかった。心のこまの手綱と言うものは、そんなに難しいものだと云う事。是れは自分のことっちゃ改まらにゃおかげ頂ききらん。ほんなおかげは頂ききらんことは分かっておるけれども、心の手綱はなかなか取れないと云う事。
自分自身は裃着けているのだけれども、キチッとした信心せにゃ出来ん事は分かっているのだけれども、心が言うことを聞かんと云う訳です。そこでですその心が言うことを聞かんとこう言う、心が侭にならんと。自分で自分の心が侭にならん。それが人間の姿なのである。ところがね、その人間の心が自由自在に使えれる様になる道を分からして貰うのが、私は信心だと思う。
自分自身の心がです、右と願えば右、左と言えば左に、いわばころころと自分の思う通りに、有難い方へ有難い方へと使うて行ける稽古、これが私は真の信心だと思うです。これは私どもの子供だけの事だけではありません。様々な問題にぶつかった時にです、うろたえる事なく、侭よと思うておける心やら、放っておく様な心で信心させてもらうと言った様な心はね、中々出来る事ではないけれども、教祖様はそう言う心の状態を、もう完璧なまでに成就しなさった方だと思いますね。
此方の道は喜びで開けた道じゃから、喜びでは苦労はさせん。どんな場合であっても喜びで受けてさえ行けばと言う様な体験を、ご自身が持ち続けて御出でられた。そこから例えば御神伝にあるような、様々な難儀、問題の中をです、実意丁寧神信心一筋で通り抜けて御出でられた。そう云う様な心の状態と言う物がです、段々身に付いて来る稽古を、一つ皆さん本気でなされなければいけない。
これは決して子供の事ではない、どういう問題難儀なこと、苦しい事に直面致しましてもです、その時にどっこいとそれを受ける心、又は侭よと思うて放っておく様な心、それには私は今申しとります、そう言う心の状態というのは、とりわけ特別、私がおかげを受けておると言う事実、特別のおかげを蒙っていると言う事実を実感さしてもらう。私はそれを今日、熊谷さんの信心からそれを感じるです、七十幾つにもなられて、しかも三里の道ですからね、毎朝お参りをして見える。
一番バスを利用して来なさる。夜は夜でちゃっと夜の御祈念に参って来なさる。もうそれこそ行のごとあるというが、もう行とも思うて御座ざらんのかもしれん。もう有難うて楽しゅうてと言うだけかもしれん。もう今日は西鉄が動かんとじゃから、もう神様がご承知じゃからなんて甘い考えではない。やはり汽車を利用してでも、昨日この草野の駅からズーッと歩いて見えられながら。本当に十何年前椛目に久大線で。
あの草野から椛目まで歩いて。毎朝お参りさせて頂いておった時分のことを思うと思い思うと、それこそ有難うて有難うてと思いながら、昨日の西鉄のストであった事が有難いと言っておられます。もう今日はバスが動かんけん、今日は神様もご承知じゃから、昨日はとうとう西鉄が動きませんでしたからご無礼しました。成程先生にどげんでん言い訳はつ、けれどもね神様にだけは言い訳は出来んのですよ。
だから此の辺のところをです、お互い一つ毅然とした信心とはそう云う事だと思うのです。お互いが言い訳ばかりする。だから先生は「ああそうじゃったの」とこう言うけれど、神様は決して「ああそうじゃったの」と妥協なさらんのです「おまえの真が足りんのじゃ」と。「日頃何を教えてもろとるか」と。神様はそういう見方をなさると思うのです。なぜって、おかげをやりたいばかりだからです、神様としては。
だからその辺の処がです毅然として出来る様な信心、そして取分け特別の神様の御守護御辛抱の中に、こん日こう言うおかげを頂いておると云うその有難さが私はね、愈々の時に侭よと言う心も放っておく心も、それでそう言う心の状態で御縋りする心の状態も出来るんだと思います。侭よと思うて放っておくと言う様な気になると云う事はどう云う事だろうかと言うのは、私はそう言う心から生まれて来るのだと私は思います。
特別のおかげを受けておる、「我が身一人元の身にして」と、友人の誰彼はこう星が夜明けに消えて行く様に、消えて行かれておる。しかも今日誰々さんのお葬式があっとりますよと聞かれた時にです、その実感が愈々ひとしおの事であったと云う事。成程神様に今日はご無礼して、玉葱の中に、草取りにやらんなんからご無礼しようでなくて、事神様の事であるなら、よし腐ったっちゃ良いと云う様にです。
そこん処を蹴やって来られる程しの信心が日頃出来ておられる所からです、とても自分が作ったっちゃ、こげな作出しはきらんと言った様な玉葱が、しかもバスの所まで持っていってやるけんと、わざわざ頂いとられると言うおかげなんかも、もう考えてみると、こういうおかげは何時も先生頂いとりますと言うて、何かに付けてです、昨日はお礼を言うとられます。成程「神の用を足せば、氏子の用は神が足してやる」と仰ると言う様な所を、地を以て言っておられるという感じです。
お互いそういう信心、そしてそういう特別の御守護の中にあるという有り難さがです。愈々の時に、放って於く様な心に成れれば、侭よと云うどん腹もすわると云う様な、さあ何かというたら狼狽えてしもうて、もうあがってしまう様な事ではね、日頃いかに信心の稽古を疎かにしておる事が分かります。お参りする事が信心じゃない、お参りをしたら稽古せにゃつまらん。学校に行っただけじゃいかん。
チャット教えられた事を予習復習せねばならない様に、勉強とはそれなんだ。学校に通いよるけん勉強しよる事じゃなか。何も覚えとらん。稽古せんからです。本気で一つ稽古させて頂いて、さあ愈々わが子の病気だと云う時でもです、可愛い可愛いと思うて狼狽えないだけの信心をね、お互い目指さにゃいかんです。それが一番初めに申しました様に、おかげを目指すという、成程おかげを頂く、けれどもそのおかげ以上のおかげを目指す、信心が必要であると云う事。
私は昨日その事を熊谷さんにお話しした事ですけれども、私どもがね、日々まあ幾回、何十ぺん、まあ厳密に言うたら何百ぺんかと云う事があるかもしれません。心の中では言わばつぶやき通し、それは「金光様」である。その「金光様」の内容はど様な事かと言うと、何か身に詰まされる事、何か難儀を感ずる時、「金光様」と唱えてすがらなければおられない訳です。
お互いが何をさせて頂くでも、「金光様」と唱えさせてもらうがです、その「金光様」がです、あれを見てもこれを見てもおかげを受けておる。特別なおかげ受けておるな、御守護を受けておるなと。その「金光様、金光様」がです、言わば神恩報謝の表現が「金光様」じゃなからにゃいけんですねと云うて話した事でした。皆様のいわゆる「金光様」は、本当第一この健康のおかげ頂いておる。
あれを思うてもこれを思うても「金光様」、皆おかげの対象にならないものはない、もう何を見ても、何を聞いても「金光様」と。その「金光様」と言うのは、神恩報謝の心が「金光様」と。それで表現される様な日々でなからねばいけないと云う様な事と熊谷さんに話したんです。本当にそうです。お互いが、神恩報謝、ただその事だけ取り上げて、「有難う御座います」じゃなくて。
お互いが「金光様」一つを念ずれば、唱えさせて頂けば、その中に神恩報謝の総てが、神恩報謝の心が内容であると云う様な「金光様」が唱え続けられる見地でありたい。そういうおかげを頂いてこそです、何時どのような事にちょくめん致しましても、侭よと思うて放っておく様な心、放っておく様な気になる。気になってしかも信心してやる。信心してすがると云う事。縋れれる私信心が出来る。
ゆとりと言う物は、そう云う様なまあ内容を持った信心さしてもろうておかなければ、その時だけ、その時に泥縄式では、そういうおかげは受けられない。そういう心の状態は頂けないと云う事になります。その事を本気で稽古をするという気にならなければ、ただ参って来るだけじゃ、ただ学校へ雑嚢担うて、行っていっちょも勉強せんのと同じ事。先生の話はもう右から左に抜けておる様な事では稽古とは言えない。此処には信心の稽古に来るのですから。
頂いたことを本当に実生活の上に表して行くいわば稽古をです、本気でなさらなければ、愈々の時に、侭よと思うて放っておく様な勇気も有難さも頂けないと思う。どうぞ一つ、信心させて頂いとれば、これはもう間違いなく信者氏子と御呼び掛けになる様に、それは一様におかげは下さってあるけれども、信心させて頂いておる金光大神の御取次を頂いて、日々信心をさせて頂いている上にはです。取分けのお働きを頂いておると言う事実を実感させて頂く所から、有難いと言う心が生まれて来る。
いわゆる「金光様」その内容が神恩報謝の心になっておる。そう言う心の状態の時なら、私はどんな問題でもです、それこそ場合にはにこにことして受けられる。場合には元気な心で受けられる。いやこれによってまた信心の稽古をさせて頂くな、と言った様なです、心も自ずと起きて来る訳であります。そう言う心の状態を私は放っておく様な心で、縋がってやれる心と言うのは、そう云う様な心からしか生まれて来ないと思うですね。
どうぞ。